数学的確率・統計的確率・公理論的確率の世界【ChatGPT統計解析】
数学的確率、統計的確率、公理論的確率の三つの確率の考え方があります。数学的確率は、事象が生じる確率を事前に決定するものであり、サイコロやトランプなどの例で示されます。統計的確率は、試行回数を増やし、相対度数が一定値に近づくことから導かれます。大数の法則を用いて保険業などで応用されますが、無限回の試行が現実には不可能なため、限界もあります。公理論的確率は、コルモゴロフが提唱したもので、集合論を用いて確率を数学的に定義し、確率の概念を厳密にするものです。
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ある事象Aに対して,ある数値(0から1までの大きさ)つまりその事象が生起する確率を対応させます。
これをP(A)と書く.Pは, Probabilityの頭文字。
こう書けば簡単ですが,確率をどう考えるかは,絶えず哲学的な論争を引き起こしてきた.次の3種類の立場があります。
数学的確率
標本空間Ωに根元事象があり,どの根元事象も生起する可能性が「同様に確からしい」とします。
提案者ラプラス(1749-1827)は「無差別の原理」としました。
サイコロを投げる前に,つまり,ア・プリオリ(a priori)に,例えば3の目の出る確率は1/6と考えることができます。
数学的確率が先験的確率と呼ばれる由縁です。
裏向きになっている52枚中のトランプから1枚のカードを抜き取るとき,エースが選ばれる確率は4/52と考えます。
コイン投げなら,裏が出る確率は1/2と見なします。
統計的確率
サイコロやコインのような単純な事象ならいざ知らず,世の中の事象はこれほど簡単ではありません。
数学的確率が計算できることは稀です。
サイコロやコインの例に戻って考えても,世の中に完全な均整のとれたサイコロやコインがあるのでしょうか。
そう考えると,事前に確率を定義することはどだい無理といえるかもしれません。
現実の事象を観察して確率を推定すべきという考えが起こるのも理の当然です。
ある試行を77回繰り返したとき,事象Eがα回起こったとします。
試行回数を増加させたとき,相対度数αの値がどんどん一定の値に近づくならば,その値を統計的確率といいます。
野球の打率は相対度数です。
310打席85安打のバッターの打率0.274は,ヒットの相対度数であり,統計的な確率です。
次の打席でヒットをかっ飛ばせば,相対度数の統計的確率は0.2765に上がります。
三振に倒れれば,打率は0.2733に下がります。
もし,5の目が出やすく細工されたサイコロを投げたとして,回数を増やすにつれて,5が出る相対度数が1/5に近づくならば,統計的確率は1/5となります。
均整なサイコロならば, 1/6に近づきます。
均整のとれたコインでは,コインを何千回何万回も投げれば投げるほどに表は1/2に近い確率で出ることがわかります。
この考え方を説明するのに, 1713年にヤコブ・ベルヌーイ(1654-1705)が述べた大数の法則(law of large numbers)があります。
定理: Z回試行を繰り返したとき,事象Eがα回起こったとする.Eの起こる相対度数a/nは,Zが大きくなればなるほど,ある一定値に近づきます。
大数の法則を経営基礎とするのは,生命保険会社です。
人の死は個人的には突発的かもしれないが,大人数の集団として見れば,ある一定の死亡率が予測できます。
逆に言えば,大数の法則が機能する程度に経営規模が大きくないと保険会社はやっていけません。
確率計算の基礎は0歳児10万人の『標準生命表』です。
2億円の生命保険金をごくわずかの保険加入者で負担することは困難ですが,何万もの人々で共同負担することは容易です。
統計的確率の定義にも問題はあります。
コインを無限回投げることはできないから,コインの表の相対度数の極限など現実には求めることはできません。
阪神の4番バッターに無限回バットを振らすことはできません。
また,製品の不良率を相対頻度の極限として理解することはできません。
未知であってもある一定値をとっていることに間違いはありません。
また,統計的確率は,明日の天候といった1回限りの事象を予測するときにはお手上げであり,手も足も出ないのです。
公理論的確率(コルモゴロフ)
確率論で扱う事象を集合と見なして,集合演算が事象の論理関係に対応するという見方をしたのが,コルモゴロフ(1903-1989)です。
そして,確率が満たさなければならない最小限度の性質を公理として抽出し数学的に厳密に定義しました。
公理論的確率を使うと,確率の概念が数学的に明確となります。
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