日常における統計的なものの見方・考え方|待ち時間の統計的考察【統計学・統計解析講義基礎】
一般の人々でも、日常、知らないうちに統計的なものの見方なり考え方なりをする。例えば通達した集会開始時刻からどれだけ待つべきかを、司会者は刻々の集まり具合を観察し、それから判断して決める
日常における統計的なものの見方・考え方
一般の人々でも、日常、知らないうちに統計的なものの見方なり考え方なりをしています。
恋人と待ち合わせている若い人たちは、約束の時間が過ぎたあと、「いつまで待たせる気なんだろう」とブツブツ言いながらも、どれくらいの時間の範囲でじっと待つべきかを、統計的に判断しています。
これまで何度かの事例を繰り返し、反復に基づいてです。
もちろん彼または彼女が統計学を正規に学んでいなくともそうしています。
集会の出席者を待つ場合もそうです。
待ち時間の統計的考察
通達した集会開始時刻からどれだけ待つべきかを、司会者は刻々の集まり具合を観察し、それから判断して決めます。
「まだお見えにならない方がいらっしゃるようですが、定刻の時間もだいぶ過ぎたことですし・・・・」というときの司会者の頭の中では、
これまでの事例と集団の習性に関する、統計学的考察ともいうべきものが働いているにちがいありません。
もちろんそれは目に見えるものではないですし、本人もとくに意識していないでしょうが、結構、複雑な推論をめぐらせているにちがいありません。
車に危うくひかれそうになったときの体験は、いつまでたっても、まったくそのままアリアリと思い出せるでしょう。
原情報のままで、脳細胞の中にメモリーとして貯えられてきているわけです。
しかし、あの世行きにつながらない、ヒャッとした程度のちょっとした危険には始終出くわしていて、いちいちおぼえてはいません。
もちろん完全に忘れ去っているかというと、そうでもありません。
それらはある種の情報処理によって学習効果としてまとめられ、統計的な形に変換されたメモリーとして生きているように思われます。
頭の中の、見えないパソコンが事例データを無意識に集計し、その結果をやはり無意識に検索しているのです。
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