公刊されない臨床試験|【統計学・統計解析講義応用】
公刊されない臨床試験
腫瘍抑制タンパク質のTP53とその頭頸部ガンヘの影響についての研究という事例を考えてみよう。
TP53を測定することでガン死亡率を予測できるだろうということが,多くの研究で示唆されている。
なぜかと言うと. TP53は細胞の成長と発達を調整するはたらきを持っていて,これがガンを防ぐために適切に機能するにちがいないからだ。
TP53とガンに関して公刊された18個の研究をすべてまとめて分析した場合、統計的にかなり有意な相関が結果として得られる。
ここから,疑う余地なく,腫瘍が人を死に至らせる可能性について判断するためにTP53を測定することになるだろう。
しかし, TP53について,公刊されていない結果−他の研究で言及されてはいるか,公刊あるいは分析されていないデータ−も掘り出してみたとしたらどうなるだろうか。
こうしたデータを合わせると,統計的に有意な効果は消えてしまう。
結局のところ,相関がないことを示すデータをわざわざ公開しようとする人がほとんどいなかったため,メタ分析では偏った標本しか使えなかったのだ。
似たような研究として,ファイザーの販売するレボキセチンという抗うつ剤について調べたものがある。
いくつかの公刊された研究で,偽薬に比べてレボキセチンに効果があることが示唆されていた。
これをもとに,ヨーロッパの複数の国はうつ病患者に対するレボキセチンの処方を承認した。
治療の評価に責任を負うドイツの医療品質・効率性研究機構は,公刊されていない試験データを何とかファイザーから手に入れた。
公刊されていないデータは公刊されていたものの3倍以上に及んでいた。
そして,医療品質・効率性研究機構がそのデータを慎重に分析したところ,レボキセチンに効果がないことが分かった。
ファイザーは,効果がないことを示す研究に触れないだけで,薬に効果があることを一般の人たちに納得させていたのだ。
他の抗うつ剤12種類に関して行われた同様の再分析でも,それらの薬の研究として審査過程中に米国食品医薬品局に登録されたもののうち,否定的な結果の大部分が決して公刊されることがなかった。
あるいは,それほど多くないものの,二次的な評価項目を強調するために公刊されたものもある(例えば,ある研究がうつ病の症状と副作用の両方を測定していたとしたら,副作用が有意に減ったことが強調され,うつ病に対する効果が有意でないことは控えめに述べられる)。
食品医薬品局は安全と有効性に関する決定をするために否定的な結果を入手することができるが,臨床医や学者がどうやって患者を治療するかを決めようとしているときにこうした否定的な結果を入手することはできない。
この問題は一般に,公刊の偏り(publication bias)または書類棚問題として知られている。
多くの研究が,貢献できるかもしれない価値あるデータであるにもかかわらず,書類棚に何年も収められたまま公刊されないのだ。
そうでなければ,多くの場合,つまらない結果が割愛された形で研究が公刊される。
こうした研究は,副作用のような評価項目を複数,測っていたとしても,数字を挙げずに単に効果が「有意でなかった」と述べるだけだったり,その効果についてまったく触れなかったりする。
あるいは,エラーバーを含めずに効果量だけを述べるため,証拠の強さについての情報がまったく分からなくなることもある。
このことと同じぐらいやっかいなのは,この問題が,公刊された結果の偏りだけに限られないことだ。
研究結果が公刊されないことは,労力が繰り返されることにつながる。
なぜかと言えば,すでになされた研究を知らない科学者がもう一度その研究をして,金銭と労力を無駄にしてしまうからだ(学会でうまくいかなかった手法について述べたところ,同じ部屋にいた複数の科学者が同じことをすでに試したものの公刊していなかったことが分かっただけだったという話を科学者がしているのを聞いたことがある)。
研究資金を助成する機関は,多くの研究が同じテーマを扱っているのに対して資金を出さなくてはならないのかと不思議に思いはじめている。
また,多くの患者や動物が実験対象になることになる。
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