米国終末期医療における文化差と生命倫理の進展【ChatGPT統計解析】
米国における終末期医療に関する異文化間の比較では、米国人の多くは死に際して告知を望むが、韓国系やメキシコ系アメリカ人ではその割合が低い。生命維持装置の使用に関しても文化的差異が見られる。また、1980年代以降、生命倫理の分野で実証研究が重要視され、特に代理意思決定や利益相反に関する研究が進んだ。安楽死や医師による自殺補助に関する研究では、痛みよりも抑うつや絶望感が重要な要因であることが示された。最後に、RCTやメタアナリシスによってより信頼性の高い結論が導かれるようになった。
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異文化間比較分析
生命倫理に関する重要な異文化問の比較研究の1つは,米国国内の異なる文化が,死や臨終に関する議論にどのようなアプローチで取り組んでいるかについての研究である.
長年の間,医師に対して,患者の終末期をもっと率直に告知すべきだというプレッシャーが存在していた.
データによれば,アメリカ人の大多数は死ぬときに告知されることを望んでいる.
しかし.他の文化圏から来た人々の中にはそのような死に関する率直性を欲していないという経験が蓄積されてきた.
Blackhallらは,終末期の意思決定を尊重することへの選択について,メキシコ系アメリカ大と韓国系アメリカ大を調査した.
すると,米国における支配的な白人と比較し,これらのグループには有意な差が認められた.
例えば,終末期に告知をしてほしいと考える大は英国系アメリカ大では87%であるのに対し,韓国系アメリカ大は47%,メキシコ系アメリカ大は65%に過ぎない.
同様に,生命維持装置の使用は患者自身が決定すべきだと考えているのは,英国系アメリカ大が65%であるのに対し,韓国系アメリカ大では28%,メキシコ系アメリカ大では41%であった.
このようなデータは,終末期の医療に対して異文化間では異なった姿勢があるという重要な情報を与えてくれる.
このデータが暗示するのは,終末期の意思決定における従来のやり方は,すべての患者に適用できるわけではなく,個々の患者に対してこのような決定を求めるときは,それぞれの文化に対する理解が求められるということである
実証研究
1980年代中頃から後半にかけて,多くの生命倫理問題は厳格な実証研究(empirical research)を必要とすることが理解されてきた.
多くの倫理規範(ethical norm)は「分別のある人」によって行使される.
例えば,分別ある人は.インフォ−ムド・コンセントのときにどういった情報を必要とするのか.どのような保護を必要とするのか.実証データは,分別ある人が必要な決定をするときに役立つ.
同様に.実証データは何か問題になっているのかを判断することができる.
タスキギー(Tuskegee)研究によって疑念を抱いたため,黒人は研究に参加することに消極的なのか.痛みのある人が安楽死を強く望むのか.被験者は,研究者が研究を支援している製薬会社とコンサルティング契約をしているかどうかを本当に知りたいのか.同様に,実証データは.ある介人がその目的を達成しているかどうかを決定する手助けとなる.
ビデオは.インフォームド・コンセントの理解の質を改善するのか.
様々なタイプの実証研究が生命倫理問題に適用可能である.
例えば記述研究があるが,実証研究が初めて行われ.厳密な方法論を発展させた領域は終末期ケアの分野であった.
終末期ケアの1つの人きな問題が代理人による意思決定(proxy decision making)である.
医療介入,特に延命治療を終わらせる決定ができないとき,家族が代わりに決定権をもつことに関して議論された。
家族は医学的状況についての十分な知識をもって決定できるだけではなく.「患者に関する独自の知識」をもつことにより.家族が患者の「心のマントを身につける、もし彼または彼女が意思表示できたら決めたであろう決定」を行う.
実際,この見解は,自分の愛する人の代わりに終末期ケアを終了させる権利を家族に与えるという.多くの戴判所の決定を正当化するのに使われた.
問題は,そのように家族は特別な知識を有すると主張することは.経験的で.きちんと,汁価されていなかったということだった.
1980年代後半から1990年代初めに,この主張に対する実証研究が行われた.
夫と妻に対し.配偶者が現在の健康状態のとき,および認知症や脳卒中のために精神的障害を持ったときのような様々な医学的状態となったとき.どんな治療を配偶者が望んでいると考えているかをそれぞれ別々に質問した.
夫と妻との問の一致率は患者が現在の健康状態に対する治療については良好だったが.実際に代理人が決定を求められるような状況において.精神的不能状態の治療に関してはほとんど一致しなかった.
このような実証研究によって,代理人は.患者の嗜好や希望を特別に理解しているわけでないということがはっきりと証明された.
代理人の知識では.忠者を尊重することを正当化できないのである.
研究の2つ目のタイプは.決断や行動のようなアウトカムの予測因子を明らかにするものである.
そのような研究では.あるアウトカムが示され,そのアウトカムに有意に関連している要因を単変量(univariate)・多変量(multivariate)解析を用いて示す.
こうした研究は利益相反研究の分野でよく使用される.
例えば医師や研究者の利益相反は表面的な問題なのか.それとも実際に患者のケアや臨床研究に影響するのか,多くの議論や討論がある
.医師を擁護する人の多くは,医療サービスに対して対価を受けることは,その医学的な妥当性の判断に影響しないこと,製薬会社の株を所持したりコンサルティング業務を行ったりすることは,研究結果の解釈に影響を与えないと主張してきた.
一連の重要な研究によれば,医療設備に対する医療者の投資は,(不適切ともいえるほど)より高頻度にその設備が提供するサービスの利用と関連していた.
最も重要な研究の1つが最も重要な研究の1つがHillmanらによって導かれた.
彼らは放射線画像診断の頻度と費用を,施設内に放射線診断設備を備えた医師と,外部の放射線診断医に委託する医師の間で比較した.
彼らは胸部X線検査,産科超音波検査,腰椎X線検査,排泄性尿路造形法,膀胱造影法について,いくつかの大規模な米国の会社の健康保険請求のデータを利用して調査した.
その結果,施設内の放射線設備を利用し自ら診察をする医師は,外部の放射線科医に患者を紹介する医師の4〜4.5倍画像検査を行っていた.
例えば,上気道症状のある患者に対し,放射線設備をもつ医師は,46%の患者に胸部X線検査を行うのに対し,胸部X線写真を外部に委託する医師ではたった11%の患者にX線検査を行っていた。
驚くことではないが,放射線設備をもつ医師の間の方が,エピソードあたりの料金の中央値も有意に高く. 4.4〜7.5であった.
上記の研究や他の利益相反に関する厳格なる実証研究を通して,米国の医療社会は,医師の医療設備所有を非難するところとなり,最終的には連邦議会によって医師が所有者としての利益を持った設備で患者を診察することを抑制する法律を制定されるに至った。
臨床研究者間の利益相反に関する研究はたくさんある.
おそらく最も重要なものは, Stelfoxらによる研究である。1990年半ば,降圧薬としてカルシウムチャネル拮抗薬の使用は安全かどうか賛否両論であった.
Stelfoxらは,研究者の製造会社と金銭的なつながりがカルシウムチャネル拮抗薬に対する意見に影響しているかどうかを評価した.
彼らは5つの原報の総説,33のレターを含む文献をすべて調査した.
製薬会社との金銭的利害関係が,カルシウムチャネル製剤の使用を支持する見解に有意に関連していることが示された.
唯一の例外として,コンサルティング業務については製剤に対する意見との関連はなかった.
なぜだろうか.それを知ることは難しいが,製薬企業は敵対する見解であっても,すべての意見を知りたいからかもしれない.
とはいえ,これらのデータは金銭的利害関係とデータの解釈の間には,強いつながりがあることを示している.
重要なことは,予測因子に関するこれらの研究で示せるのは因果関係ではなく,関連性のみである.
しかしそれらは示唆的であり,十分な数のデータがあれば,例えば,直接の因果関係は示されておらず.関連データのみしかないタバコとがんのように,因果関係としての説得力をもつ可能性がある.
生命倫理問題に関する実証研究が重要であることを示すもう一つの例として,安楽死と医師による自殺補助に関連する問題がある.
極度の痛みに苦しむがん患者が安楽死や医師による自殺幇助を訴えるのは典型的な例である.
以下は,とある判例で,安楽死を正当化するために使われた文言である:倒れたとき,大きな痛みをかかえて,あるいは鎮痛剤の大量投与により知覚麻痺や半昏睡の状態となって,長く細々と生きながらえる…AIDS,それはしばしばその犠牲者にとっては恐ろしく剥き出しの死と直面することになるが,それはまた死までの苦痛を伴う長い時間を過ごす終末期の患者を増加させている.
この主張は,安楽死や医師による自殺幇助が,痛みやその他の変数に関連しているかどうか実証研究を行う必要性を示唆している.
研究者は, HIV/AIDS,筋萎縮性側索硬化症,およびがんの患者が,どれくらいの割合で安楽死や医師による自殺補助を思い浮かべ,具体的にこれらの方法を考えたかをインタビューした.
彼らはまた,痛みやその他の症状の経験についても尋ねた.
多変量ロジスティック回帰分析を行うと,痛みは,安楽死や医師による自殺補助への関心や願望の予測因子ではなかった.
データで一貫して安楽死や医師による自殺補助に関連する因子は,患者の抑うつや絶望感のレベルであった.
同じ問題について,合法化された医師による自殺補助についてのオランダ,オレゴン州,オーストラリアの異なる研究者チームによる実証研究がある.
オランダの医師は,安楽死を求める患者はかなり熟慮のうえでそうしたのであり,うつ病ではなかったと確信していた.
彼らは.安楽死を求めるがん患者と,求めないがん患者を比較し,抑うつやとその他の症状を呈している割合を評価した.
驚いたことに,安楽死を望んだがん患者は,4倍以上抑うつ症状を有していた.
同様に,オーストラリアでは.ノーザンテリトリーで合法であった短期間に7人のがん患者が安楽死していた.
興味深いことに,これらの患者はだれも痛みに苦しんではいなかったが(4人の痛みは制御されていた),4人とも抑うつ症状をもち,率直に自殺を望んでいた.
生命倫理問題に関する3つめのタイプの実証研究は. RCTの使用である.
これらは伝統的に医療介入の試験と関連づけられているが,生命倫理学的介入試験もある.
最も大きく最も有名なものがSUPPORT研究(Study to Understand Prognosis and Preferences for Outcomes and Risks of Treatment)である.
この研究は米国の5つの教育病院で行われ,転移性肺がん,転移性大腸がん,終末期の慢性閉塞性肺疾患(chronic obstructive pulmonary disease. COPD)の増悪,うっ血性心不全,肝硬変などの9つの疾患のうちの1つで入院となった予後6ヵ月以内と診断された患者が登録された.
この研究の目的は,介入が, DNR (do not resuscitate,蘇生措置拒否)指示の早まり, ICU(intensive care unit, 集中治療室)の入院日数が少なく,患者の痛みが軽減し,病院資源の使用削減につながるかどうかを評価することであった.
介入は2つのステップを必要とした.
1.医師に各忠者について6ヵ月生存率や心肺蘇生(cardiopulmonary resuscitation. CPR)の結果の予後についての情報を含めた詳しい予後情報を提供する.
2.患者や家族の疾患と予後に対する理解度, CPRや事前指示書の使用を含んだ終末期ケアの希望について看護師が聞き出してカルテに記録し,この情報に関する医師へのコミュニケーションを容易にする.
5つの病院で,全体で4,804人がこの介入を受けるか「通常」の終末期ケアを受けるかにランダム化された.結果は全体的に有意な差がみられなかった.
介入を受けた患者はDNRの指示書までの時問が短くはならず. ICUの日数も短くならず,痛みも少なくならず,病院資源の消費もコントロール群と同レベルであった.
SUPPORT研究の介入はこれらの結果の基準を向上させることはできなかったが,生命倫理学的介入のRCTが導入できることを証明することには成功した.
最後に,臨床研究と同様に,生命倫理の実証研究においても,複数の研究を組み合わせて,より説得力のある結論を導くことを可能にするシステマティックレビュー(系統的レビュー)やメタアナリシスがある.
例えば,代理人による意思決定に関して.16研究2,595組の患者一代理人ペアを含むメタアナリシスが行われている.
このメタアナリシスでは,代理人が患者の希望する治療を予測できた割合はたった68%であり,患者による代理人の指名や,患者と代理人による治療に関する話し合いの有無は,その精度を改善しなかった.
したがって,約1/3のヶ−スで,代理人は,患者が望む治療方針決定をしていないといえる.
系統的分析のもう一つの例として,臨床試験におけるインフォームド・コンセントの質を改善するための方法に関する検討がある.
ビデオや対話型コンピュータ・モジュールは,臨床試験の内容の理解を高めるのか.「マルチ・メディア」による介入研究12試験のメタアナリシスでは,たった1試験,電子媒体を利用した説明を検討した研究において,統計学的有意差を認めた.
異文化間における終末期医療に関する比較研究は、生命倫理において重要なテーマの一つであり、特に米国内で異なる文化が死や臨終にどのように向き合うかについての研究が注目されています。アメリカでは、医師に対して患者の終末期についてより率直に告知することが求められる圧力が長年にわたって存在していました。データによれば、アメリカ人の大多数は死に直面したときに告知されることを望んでいます。しかし、他の文化圏から来た人々の中には、そうした死に対する率直さを必ずしも求めていないことが経験的に示されています。Blackhallらによる調査では、メキシコ系アメリカ人と韓国系アメリカ人の終末期の意思決定に関する選択について、米国の支配的な白人文化との間に有意な差が見られました。例えば、終末期における告知を望む割合は英国系アメリカ人で87%であったのに対し、韓国系アメリカ人では47%、メキシコ系アメリカ人では65%に過ぎません。同様に、生命維持装置の使用に関して患者自身が決定すべきだと考える割合も、英国系アメリカ人では65%であったのに対し、韓国系アメリカ人では28%、メキシコ系アメリカ人では41%でした。このようなデータは、終末期医療に対して異文化間で異なる姿勢が存在することを示しており、それぞれの文化に対する理解が重要であることを示唆しています。これに基づき、終末期の意思決定において、従来の一律的なアプローチはすべての患者に適用できるわけではなく、個々の患者の文化的背景を尊重することが求められます。
1980年代半ばから後半にかけて、生命倫理に関する多くの問題が厳格な実証研究を必要とすることが理解されてきました。多くの倫理規範は「分別のある人々」によって行使されるべきものであり、例えば、インフォームド・コンセントにおいてどのような情報が必要か、どの程度の保護が求められるかといった問題において実証データが重要な役割を果たします。実証データはまた、問題が何であるかを特定する助けともなり、例えばタスキギー研究のような過去の倫理的に問題のある研究が、現在の黒人コミュニティにおいて研究参加への抵抗感を生んでいるかどうかや、痛みに苦しむ患者が安楽死を強く望むかどうかなど、様々な疑問に答えるために使われます。同様に、実証データはある介入がその目的を達成しているかどうかを判断する手助けとなり、例えばビデオを使ったインフォームド・コンセントの理解を改善するかどうかといったことを検証することができます。このように、生命倫理においては、様々なタイプの実証研究が問題解決のために活用されており、その代表的な例が終末期ケアの分野です。
終末期ケアにおいては、代理人による意思決定が重要な課題の一つとして議論されてきました。特に、医療介入や延命治療を終わらせるかどうかの決定が患者自身ではできない場合、家族がその代わりに決定権を持つことが議論の対象となります。この際、家族が医学的状況について十分な知識を持っているだけでなく、患者に関する独自の知識を持っているとされ、家族が「心のマントを身にまとい」、患者が意思表示できたならば選んだであろう決定を行うことが期待されています。実際、この見解は多くの裁判所で、家族が愛する人の代わりに終末期ケアを終了させる権利を持つという判決を正当化するために用いられてきました。しかし、このような家族の特別な知識に対する主張は経験的に十分に評価されていなかったため、1980年代後半から1990年代初めにかけて、この主張を検証するための実証研究が行われました。この研究では、夫婦に対して配偶者が現在の健康状態にあるときや、認知症や脳卒中によって精神的障害を負ったときにどのような治療を望むかについて別々に質問しました。その結果、現在の健康状態に対する治療については夫婦間の一致率が高かったものの、実際に代理人が決定を求められるような精神的無能力状態における治療についてはほとんど一致しなかったことが明らかになりました。この実証研究は、代理人が患者の希望や嗜好を特別に理解しているわけではないことを証明し、代理人の知識だけでは患者を尊重するための正当性を提供できないことを示しました。
また、実証研究のもう一つのタイプとして、決断や行動に対する予測因子を明らかにする研究があります。これらの研究では、あるアウトカムが示され、そのアウトカムに有意に関連する要因を単変量・多変量解析を用いて示します。例えば、医師や研究者の利益相反に関する研究がよく行われています。医師が医療設備に対して投資を行った場合、その設備が不適切な頻度で使用されることがあるかどうかが調査され、Hillmanらの研究では、施設内に放射線診断設備を持つ医師は、外部の放射線診断医に患者を委託する医師よりも4〜4.5倍も頻繁に画像検査を行っていたことが示されました。この研究によって、医療設備の所有が医師の判断に影響を与える可能性が指摘され、最終的には連邦議会によって医師が所有する設備で患者を診察することを抑制する法律が制定されました。
さらに、生命倫理における実証研究の中で重要なテーマの一つが、安楽死や医師による自殺補助に関する問題です。典型的には、極度の痛みに苦しむがん患者が安楽死や医師による自殺補助を求めるケースが挙げられますが、実際の研究では痛みが安楽死や自殺補助の主要な予測因子ではなく、抑うつや絶望感が重要な要因であることが示されています。オランダやオレゴン州、オーストラリアの研究でも同様の結果が示され、抑うつ症状を有する患者が安楽死を望む傾向が強いことが明らかになっています。これにより、痛みだけでなく心理的な側面も終末期ケアにおいて重視されるべきであることが示唆されています。
さらに、RCT(ランダム化比較試験)の使用も生命倫理において重要な役割を果たしており、SUPPORT研究のような大規模な介入試験がその代表例です。この研究では、終末期の患者に対してDNR(蘇生措置拒否)指示の早期化やICU入院日数の短縮、痛みの軽減などが達成されるかどうかを評価するために、米国の5つの教育病院で行われました。しかし、結果として介入を受けた患者と通常のケアを受けた患者との間に有意な差は見られず、介入の効果は限定的でした。それにもかかわらず、この研究は生命倫理学的な介入試験がRCTとして実施可能であることを証明し、今後の研究の基礎となりました。
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