時系列の実感|【統計学・統計解析講義応用】
はるかな遠い過去を想う
宇宙の広大な歴史に比べれば人類の歴史ははるかに短い。地球の歴史にくらべても人類の発生はつい先頃のことです。
時の流れは目に見えない。その長さの尺度を「時間」から「距離」に置き換えたらどうでしょうか。
距離であれば地図の上で視覚的にわかりますし、実際に歩いたり乗り物で移動したりして実感もできます。
いま、100年を1cmとしてみましょう。それでは、人生1cm、いや、わずか数mmということになって、もうすこし換算率を高くできないものかと、ご不満の読者もいるでしょう。
太陽系の中の地球が出来てから50〜60億年になるそうです。
すると、上の換算率では、ほぼ東京〜大阪の距離にあたります。つまり、大阪で地球ができて、そこからスタートしたとすると現在は東京にいる計算になります。
原始生物が発生したのが10億年まえというから、これは静岡あたりでしょうか。
大阪から静岡までの長い距離、地球は全くの無生物のままで太陽の回りをまわり続けていたのです。
人類の発生は数百万年前といいますから、それは長さに換算して数百メートル。これでは東京駅のホームをはずれて線路を少し戻ったところに過ぎません。
1つ手前の有楽町では原始人が山野を駆け回っている姿はみられませんでした。
人類の歴史でわかっているのはたかだか数千年程度とすると、なんとこれは、数10cmの長さ、つまり東京駅のホームに降り立ってたった1歩後戻りしただけなのです。
しかし、われわれ人類は、発達した頭脳をもって、ここ1世紀(わずか1cm)の間に、地球の誕生のみならず、宇宙の起源にいたるまでを、はるかな過去に向かっての照射によって、明らかにすることができたのです。
それを可能にしたのは、精密な観測、測定と的確な推理です。
未来についてはどうか
今度は未来についてどこまでどれだけ予測できるかというと、きわめて難しいです。
過去はただ一本の道をさかのぼっていけばいいのですが、未来は無数の選択肢のなかから一本を選ばなければならないからです。
もし恐竜が今の人間なみの知恵を持っていたとして、かれらの絶滅を予想しえたでしょうか。
そのあと人間なるものが現れて、地球環境を破壊しかねないほどの数に繁殖するなど予測できたでしょうか。
なお、恐竜が生きた期間は4億年といいますから、人間はまだその100分の1です。
恐竜の絶滅より自分たちのことを心配するほうが先のようです。
映画「ジュラシックパーク」では、ジュラ紀(2-3億年前)の恐竜の遺伝子を化石の中に発見して多数の恐竜を育成し、ある島に恐竜公園を作ります。
しかし過去をよみがえらせることは成功しても、その先が予測不可能で、計画は破綻してしまうというストーリーです。
現実に、与えられたデータをいかに分析しても、それは「後ろ向きの展望車だ」などと悪口をいう人もいます。
現在はそこにない、もちろん先が見えるわけではない、過ぎ去った彼方が見えるだけというのでしょう。
ダーウィンの進化論というと、弱肉強食の自然淘汰と思い浮かべます。
しかし、最近の進化論は、情報を先取りする能力のある生物の種ほどより存続できるし進化もする、という学説に変わってきているらしいです。
弱い動物は危険をいち早く予知して逃げます。強い動物は獲物の逃げ道に先回りします。
単に強いだけでも、すばしっこいだけでも、進化で優位に立てないのです。
たいていのゲームがそうです。野球の外野手は、球の初速度と高さ・横の方向を見てとって、落下地点を予測して全力疾走あるいは悠々と歩み寄ります。
予測の精度が良くないと捕球率もよくありません。
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