統計は一つの理法なり(森鴎外):統計訳字論争|牛になることはどうしても必要です(夏目漱石)【統計学・統計解析講義基礎】
明治初期,多くの用語が欧米から押し寄せてきた時代,大きな学問論争になったものに,「統計訳字論争」があった。森鴎外は、『統計についての分疏』において,「それ統計は一つの理法なり」とした。統計学は難しいと投げ出す前に,ひとつ牛になって押してほしい(夏目漱石)
目次 統計は一つの理法なり(森鴎外):統計訳字論争|牛になることはどうしても必要です(夏目漱石)【統計学・統計解析講義基礎】
統計は一つの理法なり(森鴎外):統計訳字論争
統計は一つの理法なり(森鴎外)
明治初期,多くの用語が欧米から押し寄せてきた時代,大きな学問論争になったものに,「統計訳字論争」がありました。
スタスチックスを訳さずにそのまま使おうという立場と,統計学という訳語でいいのではないかという立場が対立しました。
後者の代表者が,森鴎外です。
統計学という訳語には,「統べて計る」という意味しかないという立論に対して,それなら化学と訳したケミストリーの場合,字義通り考えると,妖怪変化の学問になると巧みに反論しました。
化学と同様に統計学もここまで普及した以上,今さら訳語にこだわることはないと鷹揚なところを見せました。
森鴎外は『統計についての分疏』において,「それ統計は一つの理法なり」として,理法すなわち方法論はいずれの処にも応用すべきと断言しています。
すなわち,情報を集めて合計しただけでは不十分ということです。
統計学にはもう一つの側面があります。
各専門分野において集めた情報を圧縮して分析する側面です。
統計学は本筋の情報以外はすべて捨てるための理法すなわち方法論です。
牛になることはどうしても必要です(夏目漱石)
「あせっては不可せん.頭を悪くしては不可せん.根気づくでお出でなさい.世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが,火花の前には一瞬の記憶しか與えてくれません.うんうん死ぬまで押すのです.それだけです.(中略)牛は超然として押して行くのです」(大正5年8月芥川龍之介,久米正雄への手紙)
漱石が可愛がっていた弟子に出した愛情あふれる手紙の一部です。
この年の12月9日,漱石は胃潰瘍からの出血で死亡しました。
『明暗』は未完。
統計学は難しいと投げ出す前に,ひとつ牛になって押してほしいところです。
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