データ安全性モニタリング計画【統計解析講義応用】

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データ安全性モニタリング計画|【統計学・統計解析講義応用】

データ安全性モニタリング計画【統計解析講義応用】


目次  データ安全性モニタリング計画【統計解析講義応用】

 

 

データ安全性モニタリング計画

 

被験者へのリスクを含むすべての研究は,データ安全性モニタリング計画を必要とする.

 

その大小とアプローチ法は.研究の性質,参加者の種類および介入の種類によって変化する.

 

多くの試験は,可能な限り被験者の安全を確保することを主要な機能とするDSMBのような外部のモニタリンググループを必要とする.

 

DSMBは試験の公正性を高める.

 

非常に多くの統計的または非統計的な取り組みがDSMBおよびその他の外部モニターによってなされている.

 

予想されるものと同じように,予想されない有害事象やその他の転帰についても考慮しなければならないため,単純な議論で試験を続行するべきかどうか,プロトコールを変更するべきかどうかを決めることはまず不可能である.

 

臨床試験を中止するか,変更するかを決定する多くの複雑な問題と要因を踏まえたデータおよび安全性モニタリングは.豊富な経験により生まれる.

 

臨床研究における予想外のリスク

 

1人の参加者あるいは研究者として臨床研究に従事しているとき、現在の知識および治療法の選択肢を拡大しようとする研究者としての願望あるいは個人的熱意により,また患者として次世代への意思表示あるいは藁(わら)にもすがる行動として,そう決心することがある.

 

決心に至るまでの考え方がどのようなものであろうと,すべて1つのことに帰着する.

 

すなわち,望ましい結果を求めるのである.これは実現されることもあり,実現されないこともある.

 

研究が成功すると,すべての者が利益を得る.失敗すると,まず第一に,試験を始めるための動機が疑問視される.

 

一連の臨床研究は全体的には予測可能であるが,その試験経過は,被験者および研究者の双方に対し重大であり,リスクを負わせるものとなる.

 

臨床研究における有害な結果は,研究対象の基礎疾患や実験的な介入の性質から得られている情報により予測できる場合もあれば,そうでない場合もある.

 

予測できない重大なリスクが発生した場合は,研究における国民の信頼を損ない,研究の規制,監視,管理に過度に制限する変化を導くという点で,非常に大きな影響を引き起こす.

 

予期しないリスクと臨床研究に対するそれらの幅広い影響についての2つの例を示す.

 

1999年,ペンシルベニア大学の研究者とバイオテクノロジー会社の共同研究者は,施設および国の規制機関のすべての承認を得て,オルニチントランスカルバミルアーゼ(ornithine transcarbamylase. OTC)欠乏として知られている稀な遺伝的な障害に対する遺伝子治療の第1相試験を開始した.

 

プロトコールによると. OTCをコード化しているヒト遺伝子をヒトのアデノウイルスベクターに組み込み, OTC欠損の患者に投与することを目的としていた.

 

ウィルスベクターからの遺伝子の発現が通常の酵素機能を再構成して,疾患による重度の代謝状態を改善することを期待していた.

 

既に広く知られている話であるが,被験者であるJessie Gelsingerがこの介入研究で死亡したことは,研究の研究代表者(PI)であるJames Wilson博士に対して,議会調査,訴訟,重大な反響を引き起こした。

 

重症複合免疫不全に対する遺伝子治療の早期相の試験において出現した予期しないリスクは,被験者の死を引き起こし,ヒト遺伝子組み換えのためのウィルスベクターの危険性の再評価につながった.

 

しかし.その調査と規制措置ははるかに小さいものであった.

 

細胞性免疫応答の成熟に関する重要な遺伝子を組み換えるために,フランスの研究者は.レトロウイルスのベクターを使用した.

 

その遺伝子を細胞分裂を調整するヒト染色体の部位に挿入したところ,リンパ球の悪性転換および白血病を引き起こすことがわかった.

 

一定のリスクは容易に予見することは不可能であり,研究中に判明することがある.

 

新たなヒトに対する介入研究をする以上は,研究対象者に対するすべての予知できないリスクを確実に防止することはできない.

 

ここで、どのようにプロトコールを計画するのか,どのようにサンプルサイズを算出すべきか,データ管理の最適な方法はどれか,どの介入が倫理的であるか,何を禁止するのか,が重要である.

 

臨床研究があまりにも複雑であるため,今日のすべての医療と同様,長期間の診療経験によってのみその専門的知識が得られるといえる.

 

臨床研究は,インフォームド・コンセントの書類を介した被験者と研究者の単なる契約以上ものがあるため.ますます複雑になっている.

 

合意にいたった被験者と研究者間には,神聖といってもよい信頼が存在する.

 

被験者は,プロトコールの要求事項に従うことになる.

 

研究者は,ありふれた日常の業務というよりは重要な仕事として携わるようになり,試験経過中の有害な事象をできるだけ小さくしようとする.

 

この関係を監視するのは,被験者に対するリスクを最小限にし,常に保護することを保証する責任を有する緻密に構成された委員会および機関である.

 

臨床研究の関心事はリスクが中心になる.

 

例えば,前臨床試験で健常人ボランティアに対する十分な忍容性が予測されている一方で,その新薬が彼になんら便益をもたらさない場合を考えてみよう.
薬物の分布および代謝を明らかにするような内容の試験のリスクは,そのボランティアにとって許容可能なものだろうか.他のすべてのがん化学療法が効かなくなった患者に,腫瘍(がん)抑制遺伝子を運ぶ新しいレトロウイルスベクターを投与することは正しいのであろうか.

 

リスクの問題は,臨床研究において非常に根本的なものであるため,連邦規則集(Code of Federal Regulations)の該当部分の中で大きな比重を占めている.

 

いくつかの異なる連邦政府関係部署および機関および無数のIRBは,日常的に,被験者のリスクに関して意見を述べている.

 

研究の実施にはパートナーシップが必要であることを考え合わせると,リスクを巡る議論のすべてが,一方のパートナー,すなわち被験者のみに関連していることは驚くべきことである.

 

実際,被験者が直面するリスクや死亡する可能性と同等とは言わないまでも,研究者が直面するリスクについては述べられていない.

 

研究者は,臨床研究の実施において多くのリスクに直面している.

 

研究プロトコールの大変厄介な審査の過程では,新しい治療法を試験しようとする研究者の熱意が受け入れられないことが常である.

 

マウスで作用が見られたからといって,それをヒトに行うことが正当化されるわけではないためである.

 

しかし,研究への情熱を挫かれることが,研究者が直面する最も重大なリスクではない.

 

試験が失敗するかもしれないということもリスクの1つである.

 

ネガティブな試験は,ポジティブな試験ほど胸を躍らせるはずがない.

 

これもあまり重要ではない.これは,科学でよくあることである.

 

研究者にとって重大なリスクとは,次のように,何かが非常に悪い方向に進むことである.

 

患者が障害を受けたり,あるいは死亡する,または試験をデザインした際の判断が疑問視されることである.

 

 

また,不正行為や違法行為として告発される可能性もある.

 

臨床研究における意図的なごまかしやデータ改ざんはこれまで発生してきたことも事実であるし,これからは起こり続けるであろうと考えられるが,研究者がそのような不正行為で告発されたすべての事例が正当であるというわけではない.

 

被験者を保護するために構築された細かいメカニズムは,研究者を保護してくれるわけでない.

 

民間に比べると適正手続(due process)という概念は,アカデミアにおいてずっと遠い存在であり理論上の概念でしかない.

 

過去10年間にその仕事がメディアや連邦議会の公聴会で聴聞を受けた著名な科学者についてよく考えてみるとよい.

 

ペンシルバニア大学の研究者であるJames Wilson は遺伝子ベクター技術に対する所有権を有していたので, OCT遺伝子治療研究の計画と遂行における不適正な判断を非難された.

 

1995年, NIHクリニカルセンターの新しい臨床研究カリキュラムの初年度スケジュールを組むにあたり,コースディレクターのJohn Gallin は,筆者に,肝炎の新薬について,最近の経験を話すように求めてきた.

 

この薬剤は,投与された5例が死亡するまで有望視されていたが,その後,試験に関して国内で論争が巻き起こり,数人の著名な研究者のキャリアに終止符が打たれる際どい所までいった.

 

当初カタルシスのようなものであったが,時が経つとともに,学生も思うところがあり,より明快でバランスの良いものとなった.

 

肝炎研究に関連する問題は,政府の調査,訴訟,メディアの憶拠中傷により2年間にわたり泥沼化した.

 

問題の経緯は非常に複雑であるが、これはその時点のすべての詳細を示していない.

 

理由

 

どうして臨床研究を行うのか.人々が臨床研究に参加する理由は数多くある.

 

そしてまた,研究者白身にもこのような臨床研究を行う理由は,同様に様々である.

 

研究のボランティアとなる最も打算的な理由は,多くのお金が貰えることである.

 

おそらく,然るべき定職で得られるほどではないが,学生やホームレスの人々にとっては十分プラスになるものである.

 

インフルエンザウイルスの接種を受けたり,骨髄生検を受けたりする一部のボランティアの意思は,金銭によって決まる.

 

小切手さえ届けば,一時的な痛みや不便さは正当化されるようである.

 

金銭的なことを別にすると,臨床研究のボランティアとなる主要な理由は,一般的には家族または社会を助けることのできる知識および治療の発展に対し,少しでも寄与したいという願望である.

 

他のすべての治療に失敗した患者は,その治療が主流であろうが代替法であろうが,自身を科学に捧げることができる.

 

自身がすばらしい新薬の投与を受ける幸運に巡り合うかも知れないし,自身の受けた研究から得られた知見が次の被験者に便益をもたらすこともあるのである.

 

臨床研究のすべての被験者は,参加を決心する上で,自分自身の頭の中で計算を展開する.

 

何が便益で,何かリスクであるか.すべてのリスクは,あらかじめわかっているわけではなく,被験者より研究者の方がよりよく理解していると考えられる.

 

しかし,被験者は,IRBおよびFDAを含む,自分を取り巻く研究者および研究界が,既知のリスクを正直に示し,治療してくれると信じている.

 

インフォームド・コンセントの手順も完璧なものとはいえない.被験者がたとえ十分に知らされていても,何か悪いことが起こった場合,真っ先にリスクの存在が思い浮かばないことは明らかである.

 

研究者の一部は.臨床研究は崇高な冒険であるという理由で従事している.

 

研究者をつき動かしているのは.「Microbe Hunters (微生物を追う人々)」(Paul de kruif著.社会に貢献した微生物学者13名の伝記),「Arrowsmith (アロースミス)」(1930年に米国初のノーベル文学賞受賞のSinclair Lewisの科学の理想に殉じる1人の研究者の人生を描いた作品),ノーベル賞受賞者または「Osier (William Osier)」に続きたいというはつらつとしたファンタジーである.

 

しかし,これらのファンタジー小説がそれはそれであり,自分たちの動機が利己的なものであることにすぐに気づくであろう.

 

ほんの少しの成果を得るためにも多くの労力が必要である.

 

科学はゆっくりと前進し,新しい洞察および技術により何度も中断する.

 

我々の多くは, NEJMに1つ論文が掲載されるだけで十分である.運がよければ,より多くを目指すことになる.

 

アカデミアにおける就職.昇進,給料,名声は,すべて研究成果にかかっているといえる.

 

このことは確かにシニカルなことである.

 

それでも,我々医師は「奇跡を信じよ」と教えられてきた.

 

我々は,自分の患者が何の手立てのほどこしようもなく悪い循環の中で悪化するのも見てきたし,患者が新薬により苦痛から開放されるのも見てきた.

 

重度のアナフィラキシー反応をエピネフリンで治療した経験があれば,奇跡の薬物は実在することを知っている.

 

同様に.マラリアに対するキニーネ,発熱に対するアスピリン,インスリンそしてペニシリンにも当てはまる.

 

しかしながら,我々の大きな願望を,正しい方向に向ける必要がある.臨床研究を行うことにより,また今日では.正式なコースに参加して学習することにより,我々は,臨床研究の基本原則を学ぶ.

 

医師と科学者,潜在的に両立しない者の両者になることを求められる.

 

しかし,我々は,我々の考え方を堅持しようとするチームおよび組織の中で働いているのである.

 

そして.分別のある患者ならば,試験への参加を断ってもおかしくない潜在的な副作用(顔等の変形,骨髄毒性,死亡まで)のリストを含むインフォームド・コンセント文書に署名するのである.

 

我々研究者は,被験者が臨床研究に参加するのと同じ理由で臨床研究を行う.

 

我々は,根っからの楽観主義者といえる.

 

もし何か悪いことが起こった場合でも,我々研究者は規則に従って物事を正しく行おうとしていたので,患者を保護するために研究を監督する立場にある所属機関は,研究者の過失に対してしっかりと保護してくれると考えるものである.

 

ここに意外とそうでないこともあるという訓話を示す.

 

 

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